前回の続きです
私たちは、不安な状態を「不幸」と呼び、安心な状態を「幸福」と呼んでいます。人は、そのままで努力することが自然であり、幸福なのですが、人と比べる癖=「我張(がんばり)」が湧くので、余計なもの=不安が出て来るのです。あなたの不安があれば、それは他人との比較から生まれています。
武道では、正しい努力のことを「稽古」といいます。「稽古」とは、「古きを稽(かんがえる)」という意味で、「昨日の古い自分を参考にして、今日はより良い自分を作る努力をする」ことを言います。自分を他人と比べず、自分を肯定して努力することが稽古です。
この正しい「稽古=努力」を行えば、日々に向上があり、日々に自己肯定ができますから、不安は絶対に起こらず、喜びに満ちた日々=幸せがやってきます。
このように、正しい武道の稽古は、本当の幸せを与えてくれるものであり、段や試合などで、他人との競争を促し、いたずらに不安を煽るようなものではないのです。本当の自己を見つけさせ、安心させるのが武道の目的です。これは、哲学でも禅でも、第一番の目的になっています。武道には、禅や哲学を凌ぐ、すごい力があるのです。
しかし、現代の武道やスポーツは、この大事を、見失っています。やればやるほど、もっと我張らないと、他人に勝てないと思う心=将来への不安だけを、大きく育てています。競技を行い、相手を倒すことばかりを目標にしている、今の武道観、スポーツ観は、無価値を通り越して、世の中の害毒となっています。最大の害毒がオリンピックで、その次がプロスポーツです。純真で才能ある人間が、主催者の金欲に踊らされるのを、私は悲しく見ています。
さて、「精進」にも「稽古」にも、大事な極意があります。それは「自分の精一杯を尽くす」ということです。時間あるときだけやる趣味のような”中途半端”では、いけないのです。どんなに忙しくても、必死で時間を作って、毎日やりぬくという、その精一杯の努力を「真の努力」と呼びます。その努力があってこそ、ある日突然に「悟り・天命」は降りてくるのです。
天命=天から与えられた仕事・天があなたに望む生き方が、心に入るのです。そのとき、あなたは、いまの自分の環境が、例えどんなに辛かったとしても、そのままで楽しくて、仕方なくなります。つまり、「真の幸福」を実感するのです。
「天命」を知り、幸福になることは、天が人に与えた義務です。必ず、見つけなくてはなりません。そして、義務を果した者には、必ず権利が付いてきます。「天命」を知る義務を果たした人には、素敵な権利=人を幸せにできるという「ご褒美」があります。北辰一刀流は、この「ご褒美」を目指して稽古しています。
*時間をつくるというエピソードをひとつ
「国境無き医師団」の理事長だった那智さんが、インターン時代のことでした。当時のインターンは、夜2~3時頃まで、病院の中で仕事をして、朝6時には準備していなければならないという、過酷な勤務を課せられました。ある日、忙しく仕事に追われる那智さんに、担当教授が「勉強が足りない」と言いました。那智さんは、「寝る暇がないほど忙しくて、勉強する時間がありません」と応えました。すると教授は怒って、「時間の無い時するのが本当の勉強だ。この、大ばか者~!」と怒鳴りました。那智さんは、それ以来、どんなに忙しくても、時間を作って勉強するようになりました。その努力が実を結んで、「国境無き医師団」の初代の女性理事長となったのでした。
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