清掃は、心構え次第で、剣術の得難い修行となります。
例えば、
剣道場床を、雑巾がけすることによって、当然ながら全身運動鍛錬となって、準備運動の必要がありません。これは時間の節約になります。
また一斉に始め、一斉に終わることによって、協同の意識、和の精神が育まれます。
バケツの汚れた水を、植物に与えることによって、生き物へや自然への関心・崇敬する心が育ちます。
また、大勢でやりますから、自分はどの場所を担当すればいいか考えることによって、分担と責任の大切さ、気づかいの心が養われます。
さらに、どうすれば早く済ませることができるかを考えることで、段どりの大切さが身に着き、無駄を省く合理的視野が培われます。
邪魔な物を移動して拭き、元に戻すとき、どう配置すればいいか、美しいかと考えることによって、整理整頓の習慣、美的感覚が磨かれます。
他人の剣道場を、トイレまでも、我が家以上に綺麗にすることによって、差別の心が撤廃でき、平等・博愛の精神が生まれていきます。
そして、真剣に取り組んだ後の喜びを得たとき、労働の尊さが分かり、無心・無我の尊い悟りが得られます。
須菩提(しゅぼだい)
お釈迦様の10大弟子に須菩提がいます。須菩提は頭が悪く、お経を読むことができませんでした。そこでお釈迦様は、須菩提に掃除だけをやらせました。そして、掃除のときに短い言葉を唱えるよう教えました。その言葉は「清めよ、清めよ。心を清めよ。」と言うものでした。しかし、頭の悪い須菩提は、なかなかその言葉も覚えられません。それでも、一生懸命になってようやく言葉を覚えます。そして、毎日、毎日、「清めよ清めよ・・。」と唱えながら掃除をしました。と、ある日、長年の功徳がついに功を奏し、忽然と悟りが開けました。以来、須菩提は、解空第一を言われるようになりました。
須菩提の教えは、いつも同じだったといいます。いろいろな相談や質問をされても「清めよ、清めよ。心を清めよ。」と言うだけだったそうです。それで、すべての人が納得したといいます。同じ言葉ですが、聴く人の様々な心を、同様に強く打ったのは、須菩提の口元から流れ出る言葉が、悟りから来る、深く重い響きあったからでした。
どうですか?
清掃は、心がけ次第で、このように、尊い修行になるのです。些細な修業を、侮ること無きよう願います。
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