剣術の極意「切落とし」

宗家投稿

 全ての剣術の極意はは同じです。極意というと、神秘的で、技術的にも難しいように思われがちですが、刀と刀の交差するときの現象なので、簡単な物理で説くことの出来るものです。極意は、気とか筋力に関係ありませんから、やろうとすれば、誰にでも、今すぐにでもできます。北辰一刀流では極意を「切落とし」といいます。

 さて、剣と剣が交差するときのことですから、一瞬にして勝敗が決まりますので、心に何かあると、どうしても体がうまく動きません。そこで稽古が必要になります。

 コロコロ変わる。コロコロだから心といいます。誰でも、一瞬は無心になれても、心を安定させることはすごく難しいのです。その安定させた心がないと、切り落としはできません。コロコロさせないことは大変に苦労することで、極意と言われる訳はそこにあります。

 さて、切り落としは、心の問題ということになるので、人格が関係します。稽古では、腹の底まで曝け出してしまうので、見栄っ張りには大変なことですが、素直な人にはそのまま稽古すればいいことですから簡単です。コツは、宗家を信じ、言われるがまま自分の知恵やトレーニングに頼らないことが大事です。不安や執着心をすべて切り落として、素直な自分に成り切り、あとは神に任せるのです。

 私は、全てを教えることはできますが、一つも身につけさせることはできません。身につけるのは、個々の仕事です。切り落としは、各人が、苦労して発見するしかないのです。切り落しが発見できれば、昨日入門した者でも、ただちに免許皆伝となります。

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