修行の神髄

宗家投稿

「修行の方向は間違っていないか?」

新年になって1週間過ぎました。

今年、飛躍したいなら今が最適です。

飛躍のためには、現在を見直すことがポイントです。

今日は、その何を見直すかと言うお話です。

私たちは、誰もが、自分を今より高めたいと思っています。

それで、何か身につけようとします。資格とか高い能力とか・・・。

資格は、剣道でいえば「段」がそれにあたります。

さて、資格が多くなれば、自分が高まったことになるのでしょうか。

ちょっと違いますね。

周りの人は、すごいと言うかも知れませんが、一人になったとき、例えばジャングルに迷い込んだ時、資格は、何の役にも立ちません。

資格とは、人間社会の幻想であり、資格を発行する団体の利益のためにあると言ってもいいでしょう。

段が無くても、十分に剣道を楽しむことができます。

では、高い能力はどうでしょう。

例えば100mを世界一速く走れる能力があったなら・・。

しかし、ボルトも年齢には勝てませんでした。

能力とは、そんなもので、ひとときのファンタジーです。

そんな錯覚に気付かない人間は愚かと言ってもいいでしょう。

野生の動物はトレーニングなどしません。

剣道の強さも、まったく同じことです。

勝ち続けられる人は存在せず、試合勝負は無意味な戦争と同じ結果をもたらします。

歴代の達人も、歳には勝てませんでした。

名人中山博道先生も、80歳が限界と言いました。

「老いては駄馬にも劣る」という諺もあります。

生まれ持った能力だけで、十分に人生は謳歌できるものなのです。

間違った方向の修行は、人生の無駄になります。

そこで、修行の見直し必要なのです。

修行は、資格や能力を得ることではなく、自分の精神を高める所に視点を置きたいものです。

正師を選ぶ

【師無きは邪道】と言って、一人で修行すると横道に反れたとき注意してくれる人がいないので、とんでもない方向に行ってしまいます。
それで、【3年かかっても良師を選べ】と言う言葉があります。

【正師を得ざれば、学ばざるに如かず】いい先生がいなければ、やらない方がいい。とも言います。

折角の修行が台無しにならないためには、まず、命を預けてもよいと思うような、正師を探すことです。

みなさんは、日本一の先生について習っていますか。

日本で2番目の先生に習ったら、どれだけ骨を折って修行しても、日本で2番目にしかなれません。

近くの習いやすい先生で我慢していると、もっとトンデモないことになって、いくらやっても上達はしないものです。

上達の道は、一つです。どんな困難があっても、日本一の先生につくことなのです。

環境を作る

環境が人をつくります。

その人の本来の力が、どのように開花するか、一つは師に関わるわけですが、もう一つ大切な要因は環境です。

種があっても、雨が降らないと花が咲かないことと、同じことです。

人の場合、環境というのは、与えられたものに満足するのではなく、自分から作り出していかなければなりません。

稽古を始めたら、身の回りの環境を、稽古に集中できるように作り変えることです。

今までの環境が、今までの自分をつくったのです。

漫然と、今まで同様の環境でいては、今まで同様から抜け出ることは不可能です。

飛躍するためには、環境を変えていく努力がなくてはなりません。

つまり、自分を変えるには、まず自分の環境を変えることから始めるのです。

自分の環境は、自分で変えずして、いったい誰が変えてくれるでしょうか?

それを怠って、稽古だけで自分を変えるのは、虫がよいということで、何も変わることはできないのです。

どうか皆さん、今を変えれば、未来が変わります。

どうかみなさん、今の環境を変えることから始めてください。

まず師を変える。玄関に木刀を置く。部屋に、師の教えを貼り出す。和服に親しむ。朝20分だけ早く起きて素振りをする。寝る前に10分だけ座禅する・・・など。

種に水を与えるために、今までにない環境を作り出すのです。

よい未来とは、自分自身が作り出すものなのです。

修行の神髄は、そこにこあるのです。

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